もめんタルデイサービス「湿布がまっすぐ貼れません」

ナースを怖がるナースによる、看護職と介護職に向けた情報発信(と雑記)

今は令和だよ?まだ昭和の看護教育してるの?

精神論と根性論と病棟のパワーバランスについていけなかった元新人看護師が、看護の教育についてぐるぐる考えてみた。

看護に限らず介護や保育なんかの、女性が多い職種に当てはまるんじゃないかなと思うのだけど、どうよ?

経験年数限らず「品格」が求められるんじゃないの?

新人には新人の、中堅には中堅の品格がある。

それはいうなら「背中で語る」というものだろう。

看護業務には知識、技術に合わせて「品格」も必要ではないかと思う。

 

看護業界には理不尽が多すぎる

そんな曖昧な、看護はエビデンスだ、と言われるだろうが、後輩が憧れる先輩像というのは業務遂行能力だけでなく振る舞いから見える人柄にも大きく影響をうけているはずだ。

いつも不機嫌で面倒な仕事は下に押しつけコールも取らずにいるのに、指導だけはいっちょ前。

正論で正面から殴りかかってきたり、自分が受けてきたパワハラをそのまま下の世代に繰り返す姿に、誰が憧れるだろうか? 

 

受け継がれていく理不尽な仕打ち

誰だって嫌なやつになりたくはない。

しかし、実際に看護師の現場にはテンプレがあるかのように嫌なやつが存在している。

その理由で考えられるのは、「自分はこの指導で看護師として成長できた」という生存バイアスがかかったものや、「自分が受けた指導は間違っていない」という現実を肯定したいという思いだろう。

 

パワハラや理不尽な仕打ちを「正解」としてしまう環境が続いている

理不尽を生き抜いて役職を手に入れた副師長

実際に、怖くてやっぱり怖い実力のある副師長が雑談のなかで話していた出来事を聞きそう考えるようになった。

「私が新人のときは先輩から口なんて聞いてもらえなくてね。それでも必死に食らいついていたら、少しずつ話しかけてもらえることが増えたの。」

仕事をはじめたてのころは誰だってスムーズに動けないものである。

そのことは本人も重々承知していて、周りのフォローを入れてくれる人たちに申し訳なさや負い目を感じながらなんとか成長して役に立とうと必死に動く人が多いだろう。

その負い目を感じている時期に、職場の人間から口を聞いてもらえないとすると?

きっと食らいつくどころか萎縮してもっと鈍臭くなるだろう。私ならそうだ。

 

ところがその副師長はその環境を生き抜いた。

生き抜いてしまい役職を手にするところまで実力をつけてしまったために、新人が萎縮する環境を「正解」ととらえてしまったまである。

 

こうして理不尽な仕打ちを受けつつも生き残って実力をつけた人が、その正解を次の世代に繰り返すことで理不尽な仕打ちが受け継がれてしまうんだと思う。


看護に根拠はつきもの、なら教育にも根拠を取り入れようよ

看護学生や新人看護師が耳にタコができるほど聞いていて、聞くと震えあがる「根拠」という言葉がある。

Evidence  Based  nursing

略してEBNともいう。

 

患者の体を拭くにも、なぜその行動が必要なのか?の理由を理論立てて説明できなければ患者の体には触らせてもらえない。

体を拭いたらきもちよさそうだからー、となんとなくフワッとした解答をしようものなら「で、その行為はいま必要なわけ?根拠は?」と指導者から返り討ちにあう。

(いま思い出しても胃が縮みあがる…)

それくらい根拠が大切にされている世界なのだ。

 

それならば下の世代への教育も根拠に基づいた効果のあるものにすべきだと思う。

「私たちの時代はこうだったの。私たちはこれで成長できたの。」だけでは、フワッとした理由で患者の体を拭こうとする看護学生と同じである。

 

ビジネス書の棚には後輩や部下をもつビジネスマン向けのわかりやすい本がたくさんある。

本をかけるということは、下の世代を育てることは理論立てて行うことができるということだ。

看護業界も、もっとそういう理論を取り入れて効果的に後輩を育てるべきだ。

 

とくに昨今は教育している側がパワハラモラハラで訴えられる時代でもある。

前時代的な教育を見直して今の時代に合わせたほうが、下の世代にとっては気持ちよく成長できて上の世代にとっては戦力が早く育ってWin-Winでいいと思うんだけどなぁ。